碧天フォレストノベルコンテスト 一次審査通過作品
Original Story
『ずっとそばに…』
by Sin
第3章 『交わらない心』
あの日以来、千佳の表情から笑顔が消えた。
純也が遊びに行こうと誘っても首を横に振るばかりで、話すらまともにしようとはしない。
原因が自分達にあることは分かっている純也だったが、真須美の事を放っておく事もできず、ただ戸惑うばかりの日々を送る事しかできなかった。
そんな千佳だったが、唯一、友輝のそばでだけは笑顔を見せる。
それもあって純也は千佳の事を友輝に任せようとするが、それが逆に2人の心を傷つけることになっているとは、純也は知る由もなかった。
「千佳……」
「……大丈夫だよ、トモくん。私、ほらまだまだ元気……」
空元気を出して見せても、またすぐに落ち込んでしまう千佳。あれほど笑顔が魅力的だったというのに……。
その様子を、誰よりももどかしい気持ちで見つめていたのが友輝だった。
確かに友輝の前でだけは、千佳は笑顔を僅かながらも見せる。
だが、それは友輝に心配をかけまいとする千佳の気遣いでしかない事を友輝ははっきりと気づいていた。
日に日に千佳は元気を無くし、食事の量も減ってきている。見た目ではっきり分かるほどに痩せ衰えてきたことからも、それは明らかだ。
「千佳、もうちょっと食べないと……」
「ごめん……もう食べられない……」
「どこか具合でも悪いの?」
「ううん……じゃ、お母さん。私、少し出かけるね」
「え、ええ……気をつけてね…」
「うん……」
「ほんとに! ほんとに気をつけてねっ!!」
「じゃ、いってきます」
一事が万事この調子。
もはや、このまま放っておいたら命に係わりかねないほどの重症だった。
そのあまりの状況に、純也と真須美も楽しい気分でいられよう筈もなく……。
「今日は、千佳ちゃんは?」
「相変わらずだよ。食事もどんどん減ってきてるし、笑顔なんて全く出さない……」
「そう……」
「何とかしてやりたいんだけど…ああも拒絶されると、何もできなくて…妹が苦しんでるって言うのに…もどかしいよ……」
「純也……」
途方に暮れる二人を余所に、千佳の状態は益々酷くなっていた。
そして……。
待ちに待っていたはずの高校の入学式。
だが、その式に千佳の姿はなかった。中学時代からの友人が心配して友輝の所にやってくるが、友輝は千佳にみんなには黙っておいてと頼まれた通り、口を噤んで千佳との約束を守り通す。
実は入学式の二日前、千佳は突然倒れて、病院に入院してしまっていたのだ。
原因は栄養失調とストレス過多による意識障害。それから数日間、千佳は眠り続けた。
まるで、嫌なことから逃れようとするかのように……。
そして4日後……。
「う……ぅぅ……」
「千佳!? 気がついたのね!?」
ぼうっとする頭で辺りを見回す千佳。
その瞬間、千鶴子が泣きながら抱きしめてくる。
「お、お母さん、痛い……」
「こんなに心配させて! 馬鹿っ! どうしてこんなに苦しむ前にお母さんに相談してくれなかったの!」
千鶴子の涙が千佳の頬に落ちる。
抱きしめられた温もりと触れた涙の感触に千佳の瞳がゆっくりと潤んで……。
「うぅ……ひっく……うぁっ……おかっ…お母さん…ごめんなさい…ぐすっ……わぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」
大声で泣きじゃくる千佳の身体を、千鶴子はしっかりと抱きしめる。
「泣きなさい……今は思いっきり、泣きなさい…悲しい事も、辛い事も、みんな涙と一緒に流してしまいなさい……あなたはもっと甘えていいの。千佳はお母さんにもっと甘えていいんだから……」
泣きながら頷く千佳。
その様子に俊和もようやく安心できたのか、大きな息をついた。
一通りの連絡を済ませた千鶴子が病室に戻ろうとした時、院内を走ってくる音に気づいて慌てて身をかわす。
「あっ、おばさん、千佳は!!」
暴走者の正体は友輝だった。
あの後、千佳の意識が戻ったという連絡を受けて、授業中であることなど完全に忘れて駆けつけてきた彼に、落ち着く事などまず不可能で……。
「と、友輝くん!? あなた、学校は!?」
「千佳の意識が戻ったんですよね!?」
「え、ええ、そうだけど……」
「千佳―――――――――っ!!」
「あっ、ちょ、ちょっと待って、今は駄目!!」
今、千佳は看護婦に身体を拭いてもらっている最中であるわけで……それを思い出した千鶴子が慌てて止めようとしたが、時すでに遅く……。
『きゃああああああぁぁぁぁっ、トモくんのえっち――――――――――っ!!』
病室から響いてきた千佳の悲鳴に、千鶴子は苦笑するしかなかった。
それからしばらくして……。
身体を拭き終えた千佳が再びパジャマに着替えてベッドに潜り込んでから友輝はようやく入室を許可された。
真っ赤な顔で入り口近くに立ち尽くす友輝に、千佳は布団に半分まで顔を隠して、ジト目で睨みつけている。
「トモくんのえっち……」
「だ、だから、ごめんって……」
「見た……でしょ……」
「え?」
「私の……裸……」
「――――っ!?」
千佳の言葉に一気に耳や首筋まで真っ赤になる友輝。
その様子に、千佳まで顔を真っ赤に染めた。
「なぁ、千佳」
「なによ?」
「い、いや、その、怒らないで聞いてくれよ」
「だから……なに?」
「……退院したら、一緒に遊びに行かないか? 気晴らしにもなるだろうし……」
「遊びに? どこに行くの?」
「そうだなぁ…遊園地とか、動物園とか…」
「ぷっ、まるで子供向けのお出かけコースじゃない」
「うっ……」
「ふふっ、嘘。いいよ、二人でのんびり遊園地でも行こう。もちろん、トモくんのおごりだよね?」
「あ、ああ、ま、任せとけっ」
「あらら、声が裏返ってるよ〜?」
「だ、大丈夫だって。それじゃあ退院できる週の土曜にでも行こうな」
「うん、楽しみにしてるね。あ、それと……ちょっと耳貸して…」
「ん? ああ」
戸惑いながらもそう言って耳を近づける友輝。その耳元で、千佳はそっと囁いた。
「凄く恥ずかしかったけど……あんまり怒ってないからね……」
「え?」
「……あんなに慌てて、私の為に来てくれたトモくんの気持ち…すっごく嬉しかった……」
「千佳……」
「ありがとね……トモくん……」
そう言って千佳は一瞬だけ友輝の首に手を回して抱きつくと、すぐさま離れて顔を真っ赤に染めたまま布団に潜り込む。
友輝の方はといえば、一瞬とはいえしっかりと感じた千佳の身体の柔らかさに先ほど見てしまった裸身を重ね合わせてしまって、ぷっと鼻血を吹きながら倒れてしまった。
そんな2人の様子を微笑ましそうに見つめていた千鶴子は、くすくす笑いながら友輝を介抱しつつ、その耳元でこう囁いた。
「友輝くんが、いつか私の息子になる日が来るのかもしれないわね。ふふっ」
それから3日後、千佳はようやく退院する事ができた。
その間、友輝は毎日のように千佳のもとに通い、話を楽しんでいる。
外出のできなかった千佳にとって、それは何よりの娯楽だった。
気持ちが少しは落ち着いたのか、見舞いにやってくる純也や真須美にも前ほど酷い対応はとらず、少し冷たくなった程度の反応ができるようになっていた。
そして今までは単なる幼馴染だった友輝への感情。だが、ここに来て友輝の真剣な思いに触れた千佳の心に、ある変化が……。
それは……。
「トモくん、おっはよ〜っ!」
ムギュッと背中に押し付けられる膨らみの感触に真っ赤に染まる友輝の顔。
「ち、千佳!? そ、それは止めろって!!」
「うふふ〜うりうり〜」
やたらと恥ずかしがる様子が面白いのか、千佳は最近やけに友輝へのスキンシップ行為が多くなってきた。
登校の際も、友輝の手を引いたり疲れてくれば友輝の背中にくっついたり…と、話題に事欠かない。
そして、そうしているときだけは千佳の表情から笑顔が消える事はなかった。
だが、それでも他人から『恋人?』と訊かれると、すぐさま『違います!』と答えてしまう辺り、まだまだといった感じではあるが。
それは、傍から見ていると、楽しんでいるというだけではなく極めて強い好意の表れであるようにも見えるのだが……。
そんなある日の事。
いつものように遊びに出かけていた千佳と友輝。
2人で楽しんできたその帰り道で、偶然デート帰りの純也達に出会ってしまった。
「お兄ちゃん……」
「千佳。今帰りか?」
「う、うん……お兄ちゃんも……?」
「ああ、これから真須美を家まで送ってくる所だよ」
「そうなんだ……あんまり遅くならないようにね」
「わかった。それにしても…」
「え?」
「千佳と友輝って、本当にお似合いだな。まるで恋人同士みたいで、なんだか妬けてくるよ」
その瞬間だった。
「恋人なんかじゃ……ない……」
「えっ?」
「トモくんは恋人なんかじゃない……」
「ち、千佳?」
「私が好きなのは……好きなの……は…」
一番言われたくない人に、一番言われたくない事を言われてしまった千佳は、ぽろぽろと涙をこぼしてその場を走り去る。
「純也さん……あんたには、千佳の気持ちなんて何も分かってないんだな!! 待てよ、千佳!!」
慌てて後を追った友輝に、純也は……。
「俺が…千佳の気持ちを分かってない?」
戸惑った様子で、走り去った2人を見つめる。そんな彼の姿に真須美は溜息をついて罪悪感で痛む胸をそっと押さえた――。
一方、千佳を追いかけた友輝はようやくの事で追いついたが……。
「ほっといて! もう、私の事なんてほっといてよ!!」
「そんなことできるわけないだろ!!」
「もういいのよ! 完全に誤解された……お兄ちゃんに、私達が付き合ってるって!!」
そう言って泣きそうになる千佳を、友輝はいきなり抱きしめた。
「―――――っ! 離して!!」
「……嫌だったのかよ?」
「な、なにが……?」
「お前が退院してからずっと……二人で一緒に遊び歩いただろ? めちゃくちゃ楽しかったけど、千佳は……」
「そ、そんなの関係ないじゃない!」
「楽しくなかったのか?」
「そ、それは……」
「どうなんだ?」
「楽しかった……けど……」
「それならいいんだ」
そう言うと、友輝はすぐに千佳を放した。
全く友輝の行動が読めなくて、千佳は首を傾げる。
「ど、どういうつもり?」
「確かめたかったんだ」
「えっ?」
「俺一人だけが楽しんでいたのか、それとも千佳も一緒に楽しんでくれていたのかって。何しろこの数日、ほんとに楽しかったから」
「友輝……」
「だから、それが聞ければ十分さ」
「バ、バカみたい……私のわがままに散々振り回されてたっていうのに……」
「だってさ……」
「なによ?」
「お前の事を好きになっちまったんだから、仕方ないって」
「――――っ!? バ、バカ言ってるんじゃないわよ!!」
涙で潤み、真っ赤に染まった顔で走り去る千佳。
その背中を見送りながら友輝はそっと呟いた。
「俺だって、何も得られなくてやったわけじゃない…俺は……お前の笑顔が見たかったからやったんだぞ……」
誰も聞かないその言葉は風に乗ってどこかへと運ばれていった……
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