碧天フォレストノベルコンテスト 一次審査通過作品
Original Story
『ずっとそばに…』
by Sin


プロローグ 『約束』

「うぇぇ……ひっく……えぐっ……」

 小さな女の子の泣き声が響く…。
 側に立ち尽くす少年の瞳にも溢れる涙。
「千佳…」
 泣きじゃくる妹を兄は強く抱きしめて、必死に涙を堪えようと歯を食いしばっている。
 幼い兄妹。兄の純也と妹の千佳。
 つい先日、この子供達は両親を失った。

 少し厳しいけど、とても強くて大きかった父、敏弘。いつも笑顔で二人を包んでくれた優しい母、佳奈美。
 真部家は、そんな両親に見守られて子供達を中心にいつも笑顔の溢れる幸せな家庭だった。
 だがそれは、たった一台のトラックによって無残にも奪われてしまう。
 
 飲酒運転――。
 運転者の中には身に覚えのある人もいるだろう。
 ほんの少しだから…自分だけは大丈夫…そんな慢心した心が、この兄妹から永遠に両親を奪い去ってしまった。

 それは、家族みんなでピクニックに行く途中の事。
 仕事で忙しい敏弘が、その時間の中で家族へのサービスにと計画してくれた日帰りのピクニック。
 純也も千佳も以前からずっと楽しみにしていて、車内はいつにも増して明るい雰囲気に包まれていた。
「ねぇ、お父さん」
「ん、なんだい?」
「川にお魚さんいるかなぁ?」
「きっと、たくさんいるよ」
「たのしみ〜っ、お兄ちゃん、どっちがたくさん捕まえられるか競争しようねっ」
「え〜っ、千佳に捕まえらえるかなぁ」
「捕まえられるもんっ!」
「だって、魚って泳ぐの早いんだぞ。千佳みたいなのんびりさんに捕まえられる?」
「できるよ〜お兄ちゃんのいじわる!」
 そう言って頬を膨らませる千佳に、笑う両親と純也。
 これまでに無い位、楽しい思い出になるはずだった…
 
 だが――。

「お父さん、前のトラック…なんだかおかしくない?」
 おかしな挙動を見せるトラック…最初に気づいたのは佳奈美だった。
 その言葉に敏弘も眉をひそめる。
 確かに佳奈美の言う通り、前方を走っているトラックは、時折ふらふらと車線を蛇行していた。
「ひどくふらついてるな…まさか、酔ってるのか?」
「離れておいた方が良いんじゃない?」
「ああ、そうだな」
 頷いた敏弘が車の速度を落としたその時!

「お父さん、危ないっ!!」
 佳奈美の悲鳴。
 その瞬間、トラックは大きく蛇行してガードレールに衝突すると、その勢いのまま中央のガードレールを弾き飛ばし、真部一家の乗る車へと突っ込んでくる。

 悲鳴に包まれる車内。

 目の前まで迫ったトラックへの恐怖。そしてあまりにも激しい衝撃を受けて子供達は意識を失った。
「うぅ…」
 身体に走る痛みに千佳が目を覚ましたとき…あの事故からすでに三日が経過していた。
 側には付きっ切りになっていたのか、先に意識を取り戻していた兄の純也が包帯だらけの姿でベッド脇でじっと千佳を見守っている。
「良かった…千佳…目が覚めたんだね…」
「お兄ちゃん……痛いよぉ……」
「大丈夫だよ千佳。すぐに良くなるからね」
「ぐすっ、ひっく……ママぁ……」
 痛みに耐えかねて、母に助けを求めようとした千佳だったが…いくら呼んでも佳奈美がやってくる様子はない。

「ママぁ…ぐすっ…パパぁ……痛いよぉ…」
 泣きながら両親を呼び続ける千佳。
 だが、佳奈美も…そして敏弘も…やってくる様子はなかった。

 千佳の中で膨れ上がる不安。
 いない、2人とも。
 それがどういう意味なのか、6歳の千佳にはまだよく分からない。
 それでも、得体の知れない不安に怯えて、千佳は泣き続けた。

 あの事故により千佳達の乗っていた車は大破したが、子供達は大怪我を負ったものの奇跡的に命は助かった。

 しかし、敏弘と佳奈美は――。

「…千佳」
 いつもと違う純也の様子に、泣いていた千佳も思わず目を丸くして見つめる。
 優しくて格好良くて千佳の自慢の、そして大好きな兄。

 だが、そんな彼が話した言葉は…千佳には理解できない……否、理解するわけにはいかない言葉だった。

「……父さんも…母さんも…もう居ないんだって…」

 最初聞いたとき、千佳は何を言われたのか分からなかったから呆然としていられた。

 だが……
「もう…二度と会えないんだって……」
 二度目の言葉は…理解できてしまった…。 それでも、分からない…分かりたくない。そう思おうとして……
「会え…ない…パパ…ママ……う、うぁ…ああっ……」
 失敗した。

 脳裏を、敏弘と佳奈美の笑顔が過ぎる。
 抱きしめていてくれた温もり。その優しさ、暖かさ……その全てを失った事が分かってしまった瞬間、千佳の中で、何かが壊れた。
「やだ……やだやだやだぁぁっ、パパぁっ、ママぁっ!! うあああぁぁぁぁぁぁっ!!」
 病院中に、千佳の泣き叫ぶ声が響き渡る。
 あまりに悲痛なその叫びを聞いていられなくて、誰もが目を逸らし、耳を閉ざそうとする中…ただ一人……純也だけがその身体を抱きしめた。
「千佳! 泣かないで!!」
 自分も泣きたいのに、泣き叫びたい位に悲しいのに…純也は必死に妹を守ろうと、強く、小さな千佳の身体が壊れてしまいそうな程に強く抱きしめる。

「お父さんも、お母さんもいなくなっちゃったけど、僕がいるから…僕がずっと千佳のそばにいるから!!」
「うぁ…ぁぁぁあっ、お兄ちゃん…お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃあぁぁんっ!!」
 大声で泣きながら千佳は純也の胸に縋り付く。

『ずっとそばにいるよ』

 たった一言…それが壊れてしまいそうな千佳の心を繋ぎ止める。
 だが…そのたった一言が千佳の心の中に純也という存在を何よりも大きく刻み込んでしまう事になるとは、この時、誰一人思いもしなかった――。

 そして事故から8年……。
 以前より懇意にしていた叔父の家に引き取られた二人は、事故の後遺症もなく元気に育ち、それぞれ高校と中学校の卒業式を迎えようとしていた――。



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