狂科学ハンターREI SS 『桜の育児日記』 第11話
by Sin


裏路地で玲がようやく追いつくと、桜は弓月から春美を守るかのようにしっかりと抱きしめて弓月と対峙していた。
「お願いです! その子を……私の子供を!!」
「ふざけないで!! 4ヶ月だよ……4ヶ月もこんなに小さい子供をほっておいて、今更なによ!
もしもあの時私達がこの子を見つけてなかったら……この子、死んじゃってたかもしれないんだよ!!」
泣きながら訴えてくる弓月の言葉を桜は頑として聞こうとはしない。
胸に抱きしめた春美を何があっても離すまいとするかのようにしっかりと抱きしめている。
「勝手なお願いだとはわかっています! でも、でもどうか、子供を、返してください!!」
「この子は……春ちゃんは、私の子供なの! 私と玲くんで育てるんだから!!」
「お願いします! どうか子供を!」
「自分勝手に捨てておいて、今更返して欲しいだなんて、勝手すぎるよ!!」
そう言ってしっかりと春美を抱きしめる桜。だが、その時だった。

「あ、あうぅ……あーちゃ………」

「春ちゃん!?」
突然、わずかに何かを言いながら、春美が弓月に向かって手を伸ばした。
「そんな……あなたを捨てた人なんだよ! なのに……なのにそっちの方が……いいの……?」
話しかける桜を春美は不思議そうに見つめると、小首をかしげて再び弓月に手を伸ばした。
「どうして……」
「桜さん………春美はお母さんを許そうとしてるんだよ………」
「玲くん……でも……でもやっぱり……私……」
玲の言っている事は解っても、どうしても弓月を許す事ができない桜。
そんな桜の肩に玲はそっと手を置いた。
「春美が許そうとしてるんだ……僕達も許してあげようよ………」
「……………………玲くん……」
そう呟いた瞬間、桜の目から一滴の涙がこぼれた。

「………そう……だよね………ほんとの……お母さんのそばにいられる方が……春ちゃん……幸せだよね……」
涙ぐみながら、桜はずっと抱きしめていた春美をそっと弓月に差し出した。
「ああ、赤ちゃん……私の赤ちゃん…………」
桜から春美を受け取った弓月はそう言うと、しっかりと胸に抱きしめて泣きじゃくった。

それからしばらくの時が流れた。
桜と弓月の2人が落ち着いた頃、ようやく玲が口を開いた。

「それで、どうして春美……いや、赤ん坊を捨てたりしたんですか?」
「実は……あの日……私、死ぬつもりだったんです……」
その言葉に、桜は思わず身を乗り出した。
「どうして………」
「実はこの子、父親がいないんです。私、結婚の約束をしていた人に捨てられて……それでやけになって、
行きずりの男に身を任せてしまって……」
桜の言葉にそう答えた弓月の肩が震えている。
その様子に桜も言葉を失ったが、やがて………
「それで出来ちゃったのが、春美ちゃんなの?」
「はい………」
「それで、その男性は?」
「わかりません……どこでどうしているのか……」
弓月はそう言うと目を伏せた。
抱きしめた春美の頬にわずかに涙が滴り落ちる。
「そんな………」
「周りの人からも色々言われました………そんな周囲の視線や、言葉に耐えられなくなって……私……」
「死のうと……思った……と?」
そう言う玲の口調も重い。
あまりの状況に言葉にしづらいのだ。
「はい……ただ……ただ、せめてこの子だけは……生きて欲しくて………」
「それで、ここの前に捨てた……というわけですか……」
「何度か……ここの前を通ったときに、姫城さんやそちらのお二人のような優しそうな方がおられるのを
見て……ここなら……きっとこの子を幸せに育ててくださると思って……でも……でも私……やっぱり
この子を置いて……死ぬことなんて出来なくて……」
そう言って顔を上げた弓月の瞳からは、激しく涙が溢れていた。

「なぜ、名前ひとつ付けてあげなかったんです? 名前らしきものは何も入ってませんでしたが………」
その玲の言葉に弓月は一瞬表情を歪めたが、やがてポツポツと語り始めた。

「付けられなかった……なんて付けてあげれば……この子が幸せになってくれるか……どうしてもわからなかったんです……」
そう言うと、弓月はとうとう顔を覆って泣き出した。
それからしばらくの時が流れ………その沈黙を破ったのは桜の一言だった。

「………二度と……」
「えっ?」
「二度と捨てないって約束して! 春ちゃんのこと、絶対に捨てたりしないって!!」
まるで叫ぶようにそう言った桜に弓月はしっかりと頷いた。
「もちろんです! もう、もう二度とこの子を離したりしない……絶対に!!」
一瞬の躊躇いさえもなくそう答えた弓月にようやく桜は安心したのか、そっと春美に近づいて優しくその
頭を撫でた。
「………春ちゃん……」
「あーぅ?」
「幸せになってね……春ちゃん……」
そう言った桜は堪えきれなくなってその場を駆け出そうとした。だが、その時だ。

「しゃくら〜」

その声に桜は思わず振り返る。
「春……ちゃん……」
「桜さん?」
うつむいて何も言わなくなった桜の様子に玲がふと見ると、桜の足下にポツポツと雫が落ちた。
「しゃべった………春ちゃんが……私の名前……最初に………」
堪えきれなくて泣き出してしまった桜を玲はそっと抱き寄せた。
「………春美の事、絶対に幸せにしてやって下さい。わずかな間とは言え、父親として春美を育てた僕からのただ一つだけのお願いです」
「はい。絶対に……」
玲の言葉に強く頷く弓月。
「名前……ちゃんと付けてあげてね………」
涙目でそう言う桜に弓月は微笑んだ。
「………春美にします」
「え?」
「こんなに大切にして下さる方から頂いた名前ですから、絶対に幸せになれる……そう思いますから。だから、春美ってつけます」
弓月のその言葉に桜はしばらく呆然としていたが、やがて本当に嬉しそうに春美を撫でた。
「………そっか。春ちゃん、ずっと春ちゃんのままでいられるんだね」
「………扇さん」
「え?」
「時々……この子つれて……ここに来てもいいでしょうか?」
そう言った弓月の言葉に桜は一気に満面の笑みになった。
「も、もちろん! ねっ、玲くん!」
「勿論です。いつでも来て下さい」
抱きついてくる桜の言葉に玲もそう答えた。
「ありがとうございます………この子には血の繋がった父親はいませんけど、こんなに素晴らしい父が……扇さんのような母がいるんですもの……必ず幸せになってくれると信じています……」
「それに、貴方のように本気で子供を愛してくれる母がいる事も、この子にとっては幸せでしょうね」
「姫城さん……扇さん……本当に……ありがとうございます………」
それからしばらく3人はこれまでの春美の思い出などを語り合った。
だが、それにもやがて終わりは来る。

太陽が沈みかけて辺りが暗くなってくる頃、春美との別れの時がやってきた。
「桜さん、そろそろ……」
「うん………」
「本当に……色々ありがとうございました……」
そう言って深々と頭を下げる弓月に桜は涙混じりの表情で笑いかけた。
「幸せに……してあげてね」
「はい」
「元気で」
「姫城さんも」
挨拶を交わす玲達を春美は不思議そうに見つめていたが、やがて……

「しゃくら〜、あいあ〜い」
「春……ちゃん……」
春美の言葉に桜の眼から涙が溢れる。
やがて桜は春美を優しく抱きしめ、そして……
「ばいばい、春ちゃん………またね」
そう言って見送った。

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