狂科学ハンターREI SS
桜花爛漫

by Sin

 桜が入院して一月近くが経ったある日の事…
 
 いつものようにベッドから身を起こして玲と談笑していた桜の表情が、急に歪んだ。
「………桜?」
 唐突に黙り込んだその様子に玲が呼びかけるが、桜は答える事ができない。
「――――――っい…っ……」
 そのままだらだらと汗を流して呻く。
「陣痛が始まったのか!?」
 玲の問いに、なんとか頷く桜。
 急いで玲がナースコールを押すと、すぐに返事が返ってきた。

「はい、姫城さん。どうしました?」
「陣痛が始まったみたいなんです! 先生お願いします!!」
「判りました! すぐに行きますから、落ち着いて!!」
「は、はい! 桜、頑張れ。もうすぐ先生来るから」
「………く…ぁ………う……うん……ぁいっ………たぁ……っ!!」
 激しい痛みに苦しみ、苦痛の声を漏らす桜の身体を抱きしめて、玲は必死に励まし続ける。
 
「陣痛が始まったって?」

 やがて、そう言って医師が入ってきた。
「あ、先生!」
「かなり強めに来ているわね……この分だと、いつ破水してもおかしくないわ。陣痛の波が一旦治まったら入って貰うから、分娩室、すぐに準備して」
「は、はい!」
 医師にそう言われ、看護婦が慌てて駈け出していく。
「姫城さん……予定日をすでに6日過ぎているわ。このまま自然分娩で産むのは、かなり辛いと思うのだけど……どうしても帝王切開は…嫌?」
「……はぁ……はぁ……わ、私……っ…どんなに……苦しくても……はぁ…はぁ……かまいま…せん……っ…」
「だけど……」
「ちゃん…と……産みの苦しみ……乗り越えて……産んで……あげたい……か…らっ……!」
「姫城さん…」
「だ……から…ぅくっ!! …普…通…に…っ……おねっ…おねが…いっ! しますっ……!!」
 心配げな医師の言葉に、桜は苦しみながらもはっきりと応えた。
 なんとか説得して……と言う表情で玲を見つめてくるが、玲もまた、首を横に振る。
 
「桜が望む通りにさせてやって下さい。それに…どんなに辛くても、桜なら耐えて…元気な赤ん坊を産んでくれると思います」
 玲の言葉に医師はしばらく迷っていた様子だったが、やがて一度大きく溜息をつくと、そっと桜の肩に手を置いた。
「判ったわ。でも、本当に危険だと思ったら途中からでも帝王切開に切り替えるから。それで良いわね?」
 そう言われて、桜は頷く。
 確認するように見つめてくる視線に、玲もまた頷いた。
 
 やがて、一度目の陣痛の波が治まってくる。
 そして……
 
「それじゃあ、準備しましょう。今のうちに全部済ませて分娩室に入っておかないと。本格的なのが来たら、もう動けないからね」
「は、はい」
「じゃあ、今のうちに僕はみんなに連絡入れておくよ。後で僕も分娩室に入るから」
「うん……私、頑張るから……傍にいてね……」
「ああ。ずっと傍にいるよ。だから、頑張って、桜」
「うんっ」

 少し不安そうな桜にそっと口付ける。
 微かに触れ合った温もりに頬を赤らめて桜が微笑むのを見届けて、玲は病室を出た。
 
 アリシアやリタ達。それに桜の実家にも連絡を入れておかなくてはならない。
 出産の準備に入った桜を心配しながら、玲は電話をかけた。
 
 まずはアリシアへ……
 
『はい、いつもありがとうございます。ギャラリー『HIME』です』
「アリシア? 留守番ご苦労様」
『あ、玲? どうしたの? あ…ひょっとして!! 桜さん!?』
「うん。もうすぐ産まれそうなんだ」
『ほんと!? わかった、すぐに行くね!! タケルくんも一緒に連れて行くから!!』

 弾んだ声を残して切れた電話を置き、今度はリタの所へ。
 
『あいよ。誰だい?』
「リタ? 僕だよ」
『ん? ああ、玲か。なんだ?』
「いよいよ産まれるみたいだから、連絡したんだ」
『本当か!? 剛史! 桜、いよいよ産まれるってさ!!』
 電話の向こうで『何!? 貸せっ!』と言った声が聞こえて……
『玲か!? とうとう産まれるのか!?』
 興奮気味の月形の声が電話に響いた。

「あれ、月形さん? リタの所にいたんだ。連絡する手間が省けたよ」
『そんな事はどうでもいい! それよりも今は桜だ! 本当にこれから産まれるのか!?』
「うん、今から分娩室に入るところだから」
『わかった。リタも連れてすぐに行く。桜に頑張れと伝えておいてくれ』
「ん、了解。それじゃ」

 受話器を置こうとすると、電話の向こうで月形が何かに引っかかって大きな音を立てたのが聞こえた。
「あはは、月形さん、慌ててるなぁ…」
 呟いて苦笑した玲。
「さてと……次は桜の家の方にも連絡入れないと……」
 コールして待つ事数回。
 いつもながらこの時ばかりは緊張してしまう。
 桜と結婚してからもう何度もかけているというのに。
 
『扇です』
「あ、お義父さんですか? 姫城です」
『ああ、姫城くんか。何の用かな?』
「実は、いよいよ産まれる事になりまして」
『なに!? そうか。いよいよ産まれるか……初孫……だな。わかった。家内も連れてすぐに行こう』
「お待ちしてます」
 そう言って電話を切った玲は、思わず大きく息を吐き出した。

「………ふぅぅぅ……やっぱり義父さんと電話越しに話すのは緊張するなぁ……面と向かってなら、意外と平気なんだけど……声だけだと、妙に威圧感があるんだよね……さてと…これで一通り連絡…あっ、そうだ。もう一ヶ所忘れてた」
 置きかけた受話器を再び上げて、手帳に控えた番号を見ながらダイヤルする。
 2回のコールですぐに繋がり、軽快で優しげな声が聞こえてきた。

『はい、華燈籠です』
「あ、姫城です。香蘭さん…ですよね?」
『玲くん? ええ私よ。お久しぶり。それで…何かご用? それとも…最近桜ちゃんが相手出来ないから欲求不満でも溜まったかしら?』
 そう言ってくすくす笑う電話向こうの香蘭。
「あはは……そういうわけではなくて……あの、龍華さんはいますか?」
『龍華ちゃんなら、今は休んでるけど……呼ぶ?』
「あ、いえ、一言伝えたかっただけなんで……」
『ん? なにかな? あたしで良かったら伝えるわよ?』
「じゃあ……もう少しで産まれますと伝えて貰えます?」
『わかった。じゃあ伝えておくわね……って!? 産まれる!? もしかして桜ちゃん!?』
「ええ、陣痛始まったんで、あと少しかと」
『オッケー! じゃあ、龍華ちゃんに伝えついでにあたしも後でそっちに行くわね! いよいよかぁ……楽しみ〜っ!』
「じゃあ、お願いします。それじゃ」

 そう言って電話を切ると、玲は再び病室へと向かう。
 ちょうどその時、ストレッチャーに乗せられた桜が病室から出てくるところだった。
 
「ああ旦那さん、ちょうど良かったわ。これから分娩室に移るから呼び出そうかと思っていたところよ」
「そうですか。間に合って良かった」
「じゃあ、行きましょう」
「はい」

 病院の中を進んでいく途中、幾人もの妊婦達が大きくなったお腹を抱えて頑張っている姿が玲の目に入る。
 みんな大変な時だというのに、これから出産する桜に励ましの言葉をかけてくれるその優しさが、玲と桜の胸を温かくしていた。
 
 そして…
 分娩室の中、いよいよその時が近づいてくる……
 
 あれから幾度も起こる陣痛。
 その度に苦しみながらも産まれてくる子供の事を思って必死に耐えている桜。
 玲もすぐ傍で支え続ける。
 
 そして……これまでで最も強い痛みが桜を襲った。
 
「――ぅ……あ……くっぅ!!」
「今までよりもかなり強めね…姫城さん、ゆっくりと呼吸して」

 今までとは比べ者にならないほどの痛み。
 桜の口から放たれるのはもはや呻きではなく、悲鳴に近い。
 身を裂かれるような苦しみの中、桜は産まれてくる子供の事を思って歯を食いしばる。

 そして桜が必死に頑張っていた頃、分娩室の前では……
 
 連絡を受けてすぐに駆けつけてきたアリシアが扉の前で祈り続けていた。
 傍でその肩を抱くタケルも、不安げに扉を見つめる。
 
「アリシア!」
 その時、背後からかけられた声にアリシアが振り返ると、そこには汗だくになったリタと月形の姿が。
「リタさん! それに月形さんも!」
「久しぶりだな、アリシア。それで、桜は?」
「さっきからずっと苦しそうな声がしてるの……もう出産に入ってるんだと思う…桜さん……頑張って……」
「桜……」
 心配げなリタと月形。
 その間にも、桜の苦しげな声は続く。
 
「あっ、リタさん、アリシアちゃん!!」
「龍華さん! 来てくれたんですか!? あっ、香蘭さんも!」
「桜は?」
「今、頑張ってる所みたいだよ。出産……か……」
「リタさん?」
「……あたしはこれまで戦いしか知らずに来たけど…剛史に逢って人を愛する事を教えられ、桜がこうして頑張っている姿を見て……いつか、あたしもこうして剛史の子を産むのか……って思うと、なんとなく不思議な気がしてさ……」
 そう言って見つめてくるリタの視線に、月形の顔が微かに赤らむ。
 2人の様子を微笑んで見ていた龍華だが、分娩室の扉に視線を移すと、心配気に表情が曇った。

「酷く苦しそう……桜……頑張って……」
 祈るような気持ちで応援する。


 そして……初めの陣痛から15時間が経過した。
 すでに日は完全に暮れて、窓から見える外の景色は真っ暗だ。
 しかし、未だに産まれる様子はなく、桜の苦しげな声は続いていた。

「もう15時間…よね………こんな難産になるなんて……」
 時計を見つめて呟く龍華。
 その様子にアリシアも段々心配になってくる。
「桜さん、大丈夫かなぁ……」
「大丈夫だよ、アリシア。あの桜がお産の1つや2つでくたばりやしないさ」
「リタさん、それってちょっと酷いかも」
 そう言って苦笑するアリシア。

 あの後、正輝と一緒に見舞いにやってきた桃も、出産の話を聞いてそのまま残っている。
 期せずして両親へ正輝を紹介する事になってしまい、桃はその緊張と桜への心配が合わさって所在なさげにウロウロと歩き回っていた。

「桃、少しは落ち着かんか」
 松五郎にそう言われて渋々座る桃だったが、やはり落ち着かない様子で扉を見つめたり、溜息をついたりと、本当に落ち着きがない。
「まったく……仕方のないやつだな……」
 呆れたように溜息をつく松五郎。
 だが、その視線は分娩室へと向けられ、心配の色は隠せていない。

 その頃分娩室の中では……

「初産だから仕方ないのだけど……かなり長引いているわね……」
「先生、そろそろ帝王切開に切り替えた方が良いのでは……?」
「産婦が諦めない内に医師が諦める訳にはいかないわ。彼女の意志は自然分娩よ」
「は、はい」
「……本当に危険になる直前には…考えるけど……」
 すでに桜の体力は限界に近い。
 陣痛はもはや途切れることなく桜を苛み続け、その激しい痛みに桜は泣きながらも必死に頑張り続けている。
 そして18時間が過ぎようかという、まさにその時!

「先生! 破水しました!!」
「――っ!?」
 看護婦の言葉に玲が思わず振り返る。
 
「18時間……か。ギリギリね……」
 時計を見つめて呟く医師。
「姫城さん、正直、このまま自然分娩するのはかなり厳しいと言わざるを得ないわ。もしかしたら、貴方の身体が出産に耐えきれないかも知れない……それでも…帝王切開ではなく、自然分娩で産む?」
 先生の言葉に頷く桜。
 もはや体力は限界に近い。
 だがそれでも、桜はこの苦しみに真っ向から立ち向かう決意を揺るがせはしなかった。

「………わかったわ。かなり辛いと思うけど私達も精一杯手伝うから……頑張って!」
「……は………はい……っ」
「桜…頑張って。僕はなにもできないけど、ずっとこうして傍にいるから」
「……はぁ……はぁ……う、うん……私……頑張るね……頑張って……お母さんに……なる……から……」
 掠れる声で途切れ途切れに紡ぐ意志。
 玲はしっかりと桜の手を握って、頷いた。
「ああ。桜ならなれる。絶対に最高のお母さんになれるよ」
「うん……っ!」
 痛みに顔をゆがめながらも微笑む。
 それは、母親になろうとする者の強さ。
 男では決して得られない強さ。
 ずっと見てきた桜の初めて見るその強さに、玲の心は感動すら覚えていた。
 
「呼吸はちゃんと覚えているわね? 吸って、吸って、吐いて。ヒッ、ヒッ、フーね。それを繰り返して」
「は、はい……っ!」

 言われた通りに呼吸を繰り返す桜。
 
「今! 息んで!!」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
 激しい痛みに涙を流しながら、息む桜。
 その手を握りしめている玲の手にも思わず力が籠もる。
 
 一度、二度、三度。何度も、何度も繰り返してそれでも簡単には産まれてこない。
 此程までに大変な思いをして自分達を産んでくれた母親という存在の大きさを、改めて知った2人。
 それに感謝すると同時に、今度は自分達が親としてこの子を絶対にちゃんと産んであげなくてはいけない。
 その思いで桜は痛みに耐え、必死に頑張り続ける。
 固唾を呑んでその手を握り続ける玲もまた、桜を励ましながらお腹の子供に、無事に産まれて欲しいと願い続けていた。

 もはや何度目になるか判らないほどの回数を重ね……そして……!

「頭が見えたわ!! あともう少し! もう少しよ!! 頑張って!!」
 一気に慌ただしくなる分娩室の様子に外で待ち続けるアリシア達も必死の思いで無事の出産を祈り続ける。

「桜! あともう少しだ!! 頑張ってくれ!!」
 分娩室の中と外、双方の祈る気持ちが頂点に達したその時!

「くぅ……く………くぁ…っ………ぁう……っ………あ…あああああああああああああああああああああっ!!」
 まるで絶叫のような桜の悲鳴。
 そして……


 不意に顔を上げたアリシア。
 その様子にその場にいた全員の視線がアリシアに集中する。
「どうしたの、アリシアちゃん?」
「聞こえる……」
「えっ……? あ……っ」
 アリシアの呟きに、龍華が、そしてリタが直ぐさま反応した。
「泣き声……? 赤ん坊の……」
「………産まれ……た?」
 桃の顔に段々と笑みが広がっていく。
 徐々に大きく聞こえてくる泣き声。
 はっきりと聞こえた産声に、アリシア達は一斉に歓声を上げた。


 分娩室の中……
 息も絶え絶えになって横たわる桜。
 産まれた赤ん坊を見せられた瞬間、桜の目に大粒の涙が溢れてくる。

「おめでとう、姫城さん! 3980グラム。すっごく大きな女の子よ!」
「あ……ああ……っ! 私の……私と玲くんの赤ちゃん……なんて可愛い……」
「桜…やったな! とうとう、お母さんになったんだよ!」
「玲くんだって、お父さんになったんだよ♪ ああ……なんて……なんて幸せなの……っ…幸せすぎて……言葉にならない……っ」
 溢れ続ける喜びの涙。
 手を取り合って見つめ合う2人。

 そして……
 産まれてからずっと大きな産声を上げていた赤ん坊は、身体を洗って貰って暖かな産着を着せられた頃には、可愛い寝息を立てて眠っていた。
 
「はい、姫城さん。しっかり抱いてあげてね」
 産着にくるまれた我が子を手渡されて、桜は戸惑いながら腕の中に抱いた。
「こ、こう? 抱き方よく判らないけど……」
「ええ、ちゃんと抱けているから心配しないで。ほら、しっかりお顔を見てあげて」
「うん……ああ…ほんとに可愛い……前に何ヶ月か春美ちゃんを育てた時にも本当に可愛いって思ったけど…この子はあの時以上ね…」
「今度は正真正銘、僕達の娘だからね。愛おしさもひとしおなのかも知れないなぁ……」
「玲くん……」
「……あんなにも凄い難産を乗り越えて産んでくれて……桜…本当にありがとう……」
「あはは……ほんと、すっごく痛かった……でも……こんなに大きかったんだもん。それに初めての時は時間かかるのが普通だって言うし。私はそれよりも、この子をちゃんと自然分娩で産めたのがすごく嬉しい……」
「桜…僕達の娘……絶対に幸せにしてあげような」
「うんっ! こんなにも私達に幸せをくれたんだもん。ちゃんとお返ししないとねっ」
 そう言って笑い合う2人。
 桜の腕に抱かれて、幸せそうに眠る赤ん坊……

 その頬に、桜は優しく口付けて囁いた。
「産まれてきてくれて…ありがとう。私達の赤ちゃん……」


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