狂科学ハンターREI SS
春の香り

by Sin

 春の訪れを告げるような激しい風が窓を叩く。
 しかし、そんな嵐の中で、桜の病室だけは明るい雰囲気に包まれていた。

「すっごく可愛い赤ちゃん。桜さんそっくり!」
「本当ね。少し玲さんにも似てるかしら。桜、本当にお疲れさま」
 アリシアに抱きつかれ、龍華に手を握られて桜は照れくさそうに顔を赤らめて笑う。

「ほんとによく頑張ったよ、桜。あたしら外で聞いてただけだから、アンタがどれだけ苦しい思いをしてこの子を産んだのかわかってやれないけど、あの苦しんでる声……もうこっちが辛かったよ」
 くしゃくしゃと頭を撫でつけてくるリタの手にくすぐったそうに身を捩る桜。
 その時、唐突に桃が桜に抱きついてきた。
「え? ちょ、ちょっと、桃?」

 いきなり抱きつかれて、桜は目を丸くして桃の様子を見つめている。

「お姉ちゃん、もう苦しくない? 大丈夫なの?」
 心配気に見つめてくる。
 そんな妹の頭を桜は優しく撫でてやった。

「ありがと、心配してくれて。うん、もう大丈夫だから」
「うぅ……良かったよぉ……あんなに苦しそうな声してたから…死んじゃうんじゃないかって……凄く心配だったんだからぁ…」
 涙ぐんで抱きつく桃に、桜はちょっと溜息。

「もう、いつもの元気はどうしたのよ? 桃から元気取っちゃったら、殆ど残らないじゃないの」
「ひっど〜い! お姉ちゃんのいじわる〜!」

 さっきまでの泣きそうな顔が嘘のように、膨れっ面になる桃。
 だが、その頬を桜につつかれると、プッ、と吹き出して笑い出した。

 それがきっかけになって、病室の中に笑いが広がっていく。

「ところで、桜……名前、決めたの?」
 龍華に聞かれて、はたと思い出した桜は首を横に振る。
「ううん、まだ。どうしようか悩んじゃって。あ、玲くんは何か良いの考えてる?」
「色々考えてはいるんだけど、まだ迷ってるよ」
「……どんなの?」
「例えば……優しくて美しい心を持って欲しいって意味で、『優美』とか、溢れんばかりの愛情に包まれて欲しいって意味で『愛美』とか、春美の時みたいに桜さんに関係のある『春』って字を使って、『春香』とかね」
「へぇ……結構良い感じね、春香って。名前の由来は?」
「漢字で春の香り。暖かくて優しい娘に育って欲しいって意味と、音から『はるか』な夢を持って、何処までも羽ばたいて欲しいって意味を込めてるんだ。僕としては結構気に入ってるんだけどね。桜はどう思う?」
「2つの意味を持ってるんだ……良いかも知れないわね。ん、私も気に入った」
「じゃあ……」
「春美ちゃんともまるで姉妹みたいだしね。うん、私もその名前で良いと思うよ」
「決定だね」
「うんっ♪ 春香ちゃん、貴方の名前、決定ですよ〜♪」
 そう言って春香の頬をプニプニとつついて微笑む桜。
 幸せそうにすやすやと寝息を立てるその天使の微笑みに、誰もが心を癒される。

「桜、本当にお疲れさま」
「うん……私、とうとう本当にお母さんになれたんだね、玲くん……」
「あんなに苦しい思いをしても、桜が最後まで頑張ってくれたから…僕も父親になれたんだよ」
「玲くん……ううん、私だけの力じゃない…玲くんがずっと側にいてくれたから……ずっと励ましてくれたから……だからこの子を…春香を産んであげられたの。私一人じゃ……きっと耐えられなかった…」
「桜……」
「ありがとう…玲くん。私……貴方を愛して、本当に良かった…」

 潤んだ瞳からこぼれ落ちる涙。
 それは腕の中で眠る春香の頬に零れて静かに流れ落ちていった。


 それからしばらくの後……
 
 一旦家に戻っていた正輝もやってきて、病室は更に賑やかになっていた。
 
「おめでとうございます、姫城さん」
「ありがとう、神谷くん」
「すごく可愛い女の子ですね。きっと美人になりますよ」
「ふふっ、そうしたら可愛いお嫁さんと美人の姪に挟まれて、神谷くんは大変かもね」
 そう言って笑う桜に桃は顔を真っ赤に染める。
「お、お姉ちゃんっ!!」
「あはは、そうですね」
「ちょ、ちょっと、正輝くんっ!?」
 何気なく答えた正輝の返事。それはまるで桃との結婚がすでに決まっているかのような当たり前の返事で……
 
 くいくいと引かれた背中の感触に桃が振り返ると、興味津々の様子で、龍華が笑顔を浮かべていた。
「桃ちゃん、ひょっとして…」
「な、なに? 龍華さん…?」
「………彼氏と…結婚決めてるとか……?」

 龍華の言葉に騒然とする病室内。
 
「え、桃、そうなの!?」
「へぇ…そうなんだ」
 目を丸くした桜と、感心したような玲の視線を受けて、桃は顔全体を真っ赤に染めてしまう。
「ちっ、違う違うッ!! そ、そんな、けっ、結婚だなんて、まだまだ早過ぎるよぉっ! だって、まだ付き合ってそんなに経ってる訳じゃないし……それに、そんな事言われたら、正輝くんだって迷惑……」
「迷惑だなんて。僕は……正直、ちょっと嬉しかったよ」
「――っ!?」
 少し赤くなって言った正輝の言葉に煙でも噴き上げそうなほどに真っ赤に染まる桃の顔。
 その言葉に桜達も楽しげに囃し立て、あまりの恥ずかしさに桃は顔を隠してその場にしゃがみ込んでしまった。
 
「う〜〜っ、みんなの馬鹿ぁ……」
 そんな中……
 
「神谷くん」
 唐突にかけられた松五郎の声に、病室が静まり返る。
「はい」
「……桃との事、本当はどうなんだ?」
「まだ、桃さんとは将来の事を話し合った事はありません。でも…僕は桃さんと付き合うようになったその時から……一生、一緒に生きていきたいと思っています」
 恥ずかしさに顔を赤くしていたが、決して逸らされる事のないその視線。
 そして、桃の父である松五郎の前であっても、決して揺るがないその意志。
 
 正輝のその姿に、松五郎は「うむ……」と何かを考えはじめ、桃は驚きながらも嬉しそうに涙を浮かべている。
 
「桃」
「は、はいっ!?」
「お前はどうなんだ? 神谷くんと、生涯添い遂げるつもりがあるのか?」
「えっ……!? えっと……そ、それは……勿論…正輝くんが……受け入れてくれる……なら……私は……」
「はっきりせんか!」
「わ、わたしだって、正輝くんと一緒に居たいよ!! お、お嫁さんに貰ってくれるって言うなら……断る理由なんてないもん……」
 言葉にしたは良いが、桃は正輝と視線を交わすとそのあまりの恥ずかしさにさすがに耐えきれなくなって、病室を飛び出していく。
「桃さんっ!?」
「神谷くん。少し待ってくれ」
 慌てて追いかけようとする正輝に、松五郎の声がかかった。
 

「は、はい」
 足を止め、振り返った正輝の肩を松五郎の手がしっかりと掴む。
「………みんなの前で、あんな事言わせちまって悪かったな。だが、お前の心意気はしっかりと見せて貰った。桃の奴はまだまだガキな所があるし、ろくすっぽ家事も出来やしねえ奴だが………あいつの事、これからもよろしく頼む」
「はいっ!」
 松五郎の言葉に力強く頷いて答える正輝。
 その姿に松五郎の口元には笑みが…
 
「わお、神谷くんってば、お父さんに公認されちゃったわ」
「この分だと、僕達に弟が出来る日も、遠くは無さそうだね」
 桜と玲がそう言って笑う中、正輝は照れくさそうに顔を赤くすると、軽くみんなに挨拶をして桃の後を追っていった。

 その頃、桃は……
 
「私……あんな事みんなの前で言っちゃって……」
 病院の屋上で、思い出すのはさっきの正輝の言葉と桃自身の言葉。
 
「もぉ……正輝くんにどんな顔で会えばいいか判らなくなるじゃない……お父さんの馬鹿……」
「やっぱりここにいたんだね、桃さん」

 唐突に背後からかけられた声に桃は吐き出しかけた溜息を飲み込み、慌てて振り返る。
 
「ま、正輝くんっ!? ど、どうしてここが……」
「ん……なんとなく。桃さんならここにいそうな気がしたんだ」
「あはは……私ってば行動パターン、バレバレ?」
「桃さんの事だから。僕にはなんとなく判るよ」
 その言葉はまるで桃の事ならなんだって判ると言われている気がして、桃は顔を真っ赤に染めた。
 
「………あの…ごめんね、お父さんいきなりあんな事……私達付き合ってまだそんなに経ってる訳じゃないのに…」
「僕の方こそ、ごめん。桃さん、恥ずかしかったよね…みんなの見ている前であんな事言われて……」
「そんなこと! そ、その……嬉しかったし……」
「桃さん……」
 真っ赤になって言った桃の言葉。
 その手が、そっと正輝の手に包み込まれる。
 
「正輝くん……」
「さっき言った言葉、僕は本気だよ。桃さんといつまでもずっと、一緒に生きていきたい。今の僕は何の力ももたないただの一高校生だけど、いつか必ず桃さんを支えられるような男になるから。その時には……僕と……結婚して欲しい」
 真剣な表情で見つめてくる正輝を桃は涙で潤んだ瞳で見つめ返す。
「………まさか…こんなに早く、プロポーズされるなんて……思わなかった……」
「ごめん……や、やっぱり……まだ早過ぎる……よね……」
 そう言って頬を掻く正輝の手を、今度は桃がしっかりと握りしめた。
「でも!」
「えっ?」
「………すごく……嬉しい……」
「えっ、あ、あの、桃さん?」
 いきなり抱きつかれて顔を真っ赤に染める正輝。
 そして……
 
「……大好き……正輝くん…」
「――っ!?」
 重ねられた唇。
 突然の事に固まってしまっていた正輝だったが、やがて桃の背中に手を回すと、優しく抱きしめた……


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