狂科学ハンターREI SS
春風の姉妹

by Sin


 セミの鳴き声も騒がしい、日曜日のある日。
 照りつける太陽を幅の広い帽子の端から眩しそうに見上げて、桜は額の汗を拭った。

「ふぅ、いい天気だけど少し暑いわね……」

 そう呟いて、そっとお腹を撫でる。

「私が暑いって事は、お腹の中も暑いのかなぁ…」
 
 優しくお腹に――その中に息づく命に語りかける桜。
 それに答えるように、桜のお腹が一瞬跳ねた。

「そっか……やっぱり君も暑いよね。でも、ごめん。もう少しだけ我慢して。もうすぐ待ち合わせの時間だから…」

 その時だった。

「お姉ちゃ〜ん!」

 遠くから聞こえてきた声に見ると、大きく手を振りながら走ってくる桃の姿を見つけた。
 桜もそれに答えて軽く手を振り返す。

「はぁ、はぁ、ご、ごめん、お姉ちゃん。遅れた?」
「ううん、私が早かっただけ」
 そう言って汗を拭う桜の様子を、桃は心配気に見つめている。

「どこか涼しい所にいてくれればよかったのに」
「ん、まあ、たまにしか会えない妹と折角会うんだし、時間無駄にしたくないからね」
「もぅ……お姉ちゃんの身体は、お姉ちゃん1人のものじゃないんだよ?」
 桃はそう言うと、そっと桜のお腹を撫でた。
「すっごい……もうぱんぱんに膨らんでる……」
「来月には出産だから……でも、ほんと大きな子だわ……って、こ、こらぁ、そんなに触ったらくすぐったいよ」
 身を捩って桃の手から逃れると、桜は逆にクシャクシャと妹の髪を撫でつけた。
 そしてそのままギュッと抱きしめる。
「わぷっ!?」
「心配してくれてありがとう、桃。大事な私と玲くんの赤ちゃんだもん…絶対に無事に産んであげるんだから……」
 優しい瞳ですっかり大きくなったお腹を見つめながら、桜はそう呟く。
 そんな姉の様子を、桃は嬉しいような、ちょっと寂しいような不思議な気持ちで見つめていた。

「そう言えば――」
「ん?」
「お姉ちゃん、もう予定日近いよね?」
「来月だからね」
「だったらこんなに動き回っちゃまずいんじゃ……」
「気を付けてれば大丈夫。それに…もしも本当にまずいときには、玲くんが助けてくれるからね」
「ふぅん……信頼してるんだ、玲さんの事」
「そりゃあね。桃には悪いんだけど……誰よりも一番信頼してるわ」
「いいなぁ……そんなに信頼できる人がいるなんて……」
「……愛してるから…」
「えっ?」
「あ、あはっ、き、聞かなかった事にしといて。あ〜恥ずかしぃ…」
 真っ赤になった桜の様子に、吹き出す桃。
 始めはそっぽを向いていた桜だったが、笑い続ける桃につられるように、一緒になって笑い出した。

「それにしても、彼氏ができて、結婚して、子供までできて……なんだかお姉ちゃんにどんどん置いていかれてるなぁ……私なんて、まだ彼氏の1人もできてないのに」
「桃は自分からアピールしないから。素質はあるはずなんだから。なんたって、私の妹なんだからね」
「あはは、そうだね」
「玲くんだって、初めてあった頃は、こんなに冷たい人がいるんだ…って驚いたくらいだったんだから」
「え、そ、そうなの?」
 あまりの話に驚きを隠せない桃。

「昔の玲くんは、冷血のハンターって呼ばれるくらいに冷たい人だったんだから」
「ふ、ふ〜ん……」
「あ、その目……信じてないなぁ?」
「だ、だって、あの玲さんが、もとは冷たい人だったなんて、想像できないよ〜」
「まあ、今の玲くんしか知らないと、考えられないよね。でも、ほんとだよ」

 思い出す彼の姿。
 狂科学を憎み、全ての狂科学を破壊していた、冷血のハンター。
 それが玲だった。
 
 それを変えたのは…
 
「口惜しいけど、そんな冷たい人だった玲くんを変えたのは、アリシアなのよね…」
「アリシアちゃん? 玲さんの妹の?」
「うん。アリシアが居なかったら、きっと今でも玲くんは狂科学を憎んだままだった。きっと…私ともこうなってなかったわね…」

 遠い目をして空を見上げる桜の姿が、なんだか遠くに行ってしまったように感じて、桃は自分でも気付かないうちに姉の手をギュッと握っていた。
 
 
 それから数時間。
 2人は色々な店を見て回りながら取り留めのない話に花を咲かせていた。
 
 そして…
 
 少し日が陰り始めた時…
 
 先程まで楽しげに話していた桜の口数が段々減ってきている事に桃は気付いていた。
「……お姉ちゃん、大丈夫?」
「……………え…っ?」
 返してくる返事もどことなく頼りない。
「ちょっと休もう。お姉ちゃんはそっちに座ってて。私、なにか飲み物買ってくる」
「ん……」
 そう答えて歩き始めた桜だったが、その瞬間。
 
「お姉ちゃん!?」
 突然ふらりと蹌踉けた桜に、桃は慌てて駆け寄るとその身体を抱き留めた。
 
「お姉ちゃん、大丈夫!? お姉ちゃんっ!!」
「………ん…あ……桃…?」
「もう! だから動き回っちゃまずいんじゃないかって言ったのに!!」
「……あは……ごめん……たまには妹孝行しておかないと……って……桃には…寂しい思い…させたから……でも…迷惑かけちゃったね…失敗…失敗……」
「お姉ちゃん……」
「悪いけど……玲くんに……連絡しておいて……多分…1人じゃ帰れそうもないから……」
「う、うん。わかった」
「お願いね……桃…」

 そう言うなり、桜はそのまま意識を手放す。
「お姉ちゃん!? しっかりして、お姉ちゃんっ!!」
 ぐったりとした姉に桃は慌てて呼びかけるが、意識の戻る様子はない。

 それから間もなく、桜は救急車で病院へと運ばれ……
 

「桜!!」

 病室で眠る桜達の元に玲とアリシアが駆けつけたのはそれからすぐの事だった。
 
「あ……玲…さん……」
「桜の容態は?」
「先生は、疲れただけだから心配ないって言ってました…母子共に問題ないそうです…」
「そ、そうか……」

 安心したのか、その場に崩れ落ちるように座り込む玲。
 
「玲、大丈夫?」
「大丈夫だよ、アリシア。ちょっと安心したら力が抜けちゃっただけだからね」
「でも、ほんとに無事で良かった、桜さん」
「ああ……」

 そう呟いて眠る桜の頬にそっと手を当てる玲。
 心配気なその姿に、桃の胸が痛んだ。
 
「ごめんなさい……私がお姉ちゃんを連れ回したから……」
「君の所為じゃないよ、桃ちゃん。桜だって自分の身体の事は解っていたはずだからね」
「でも……」
「ああ、ほら、泣かなくていいから」
 優しく頭を撫でてくれる玲の手の感触に桃はとうとう堪えられなくなって、泣きながら玲の身体に抱きついた。
「桃ちゃん……」
 軽く抱きしめてくれるその暖かさに心の奥の方まで暖められるような気がして、桃はそのまま目を閉じ…
 
「こらぁ……玲くん取ったら…許さないぞ〜〜」

 唐突に背後からかけられた声に、大慌てで玲から離れる桃。
 そのまま声の方へと視線を向けると…
 
 うっすらと目を開けた桜が微笑みを浮かべてこちらを見ていた。
 
「お姉ちゃん!?」
「桜……みんな心配してたよ」
「ん……心配かけて…ごめんね……玲くん…アリシアも来てくれたんだ…」
「大丈夫、桜さん?」
「大丈夫……もう完全に平気……」
 弱々しく微笑むその姿に、また桃の胸が痛む。
 
「お姉ちゃん……」
「桃…ごめんね、迷惑かけちゃって……」
「私こそ……お姉ちゃんの身体が今大事な時だって解ってたのに……一緒に買い物したり遊んだり出来るのが楽しくて……ついあちこち連れ回しちゃって……」
「楽しかったのは私も一緒……だから…ほら、そんな風に泣かないで……」
 そう言って、そっと桃の頬の涙を拭う桜。
 
 その暖かさが嬉しくて…
 桃はそれからしばらくの間、涙を止める事が出来なかった…
 
 結局…その日以後、桜は完全に入院生活を送る事になってしまう。
 これ以上心配の種を増やされない為に、玲によって強引に決められてしまったらしい。
 じっとしている事の嫌いな桜にとってはかなりきつい事ではあるが、玲に、

「産まれてくる命の為に、あと少しだから我慢してくれないかな?」

 そう言われてしまっては、さすがの桜といえどもワガママを通す事は出来なかったようだ。
 
 あれから1週間。
 学校の帰り道、いつものように桜の見舞いに行こうとした桃だったが、ふと、自分の靴箱に置かれた手紙に気付いた。

「え……?」

 思わず手にとってまじまじと見つめていると、背後から近づいてきたクラスメイトの唯に取られてしまう。
「ちょ、ちょっと!?」
「へぇぇ……桃ってば、ラブレターなんて貰っちゃって!」
「ラ、ラブッ!?」
 慌てて手紙を取り返すと、確かにしっかりと封のされた封筒には、『扇さんへ』と書かれてあり、裏面には『神谷 正輝』と記されている。
「う、嘘!? ちょ、ちょっと待ってよ……」
 更に大慌てで封筒を開く桃。
 そして中の文面に目を通す。
 やがて……読み続ける桃の頬が真っ赤に染まる。
 
 そこには……
 
『扇さんにどうしても僕の気持ちを伝えておきたくて、手紙を書きました。今日の放課後、屋上で待っています。神谷』

「ほらほら、かんっぺきにラブレターじゃない! で、行くの? 神谷くんって言えば、確か隣のクラスの子よね?」
「う、うん…で、でも、まともに話した事なんて、一度もないよ? なのに…」
「好きになるってそう言うものじゃない? とりあえず行くだけでも行ってみれば? 話を聞いてから判断しても遅くないし。まあ、桃とはだいぶ違うタイプの子よね。別に活発って訳でもないし、運動苦手そうだし。頭は良いみたいだけど、ちょっと大人しすぎるかもね」
「……とりあえず、行ってくる。あんまり待たせるのも悪いし……」
「頑張ってね〜〜〜♪」
 意味深な言葉を背に受けて桃は屋上へと走る。
 そしてその扉の前に立つと、大きく深呼吸してから恐る恐る扉を開いた。

 ゆっくりと広がるその光景の中、壁にもたれ掛かるようにしてグラウンドを見つめている1人の男子生徒の姿を見つけて、桃の胸は一気に高鳴ってくる。
 
「………あ、あの…」
 緊張のあまり、少し上擦ってしまう声で呼びかける桃。
 
「あ、お、扇さんっ!? き、来てくれたんですか!?」
「う、うん……」
 喜びを満面の笑顔で表す正輝に桃の胸は張り裂けそうなほどに高鳴る。
 震える足をなんとか進めて歩み寄った桃は、逃げたくなるくらいの緊張を必死に堪えながら口を開いた。
「そ、その……それで……話って……?」
「えっ、え、えっと……あの……お、扇さんっ!!」
「は、はいっ!?」

 突然、大きな声で呼ばれて桃は目を丸くして返事をしてしまう。
「あ…すみません…大声出して…」
「う、ううん……そ、それで……? な、何……かな?」

 恐る恐る聞いた桃の言葉に正輝は一瞬躊躇したが、一度大きく深呼吸をして、じっと桃を見つめた。

「神谷……くん?」
「扇さん」
「は、はいっ」
「……僕と……僕と、付き合って下さいっ!!」
「―――っ!?」

 予想していたとは言え、初めて受ける告白の言葉に、桃の頭は完全に真っ白になってしまう。
 返事が返ってこない事に不安になった正輝に呼びかけられて、ようやく気付いた桃は、言われた言葉の意味に顔を真っ赤に染めた。
 
「………ダメ…ですか?」
 不安気に聞く正輝に桃は慌てて頭を振る。
「そ、それじゃあ……?」
「えっと…その……突然言われたから……なんて言って良いのか解らないけど……どうして…私…? 私なんかより可愛い子、もっと沢山居るのに……神谷くんって凄く女の子達に人気があるって友達に聞いてたけど……」
「………僕は、扇さんが好きなんです……他の人じゃ……ダメなんです……」
「な、なんで? 私、全然可愛くないよ? 料理が得意って訳でもないし、女の子らしい事なんて殆ど出来ないし……運動ばかりしてるこんな私を……なんで?」
「その、走ってる扇さんの姿に、一目惚れしました」
「――っ!?」
「初めて扇さんを見たのは、部活の時でした。男子陸上の友達を待っている時に偶然、扇さんが走っているのを見て……」
「そ、それで……一目惚れ?」
「凄く……格好良くて…綺麗でした。それからはいつも扇さんの事が気になって……気付くと、いつの間にか目で追っている事がしょっちゅうで…」
 真っ赤になって俯く正輝に、桃の顔も真っ赤に染まる。
 
「僕は、運動もそんなに出来る方じゃないですし、力だって弱いです。扇さんには釣り合ってないかも知れない……でも…それでも、僕は扇さんが好きです!」

 その真剣な言葉が、桃の胸を打つ。
 込み上げてくるものが堪えられなくて……
 
「お、扇……さん?」
「え……っ?」
「そ、その……あ、こ、これ……」
 正輝にハンカチを手渡され、初めて自分が泣いている事に気付いた桃は、更に頬を真っ赤に染める。
「あ、ありがと……」
 恥ずかしそうにしながらも、渡されたハンカチでそっと涙を拭う桃。
 
「………神谷……くん」
「は、はいっ?」
「……ありがと…」
「えっ?」
「嬉しいよ……」
 そう言って微笑む桃に、正輝の表情が一気に明るくなる。

「そ、それじゃあ!?」
「ほんとに……私なんかで……いいのかな?」
「もちろんです!! 僕は……僕は扇さんの事が好きなんですから!」
 真剣な正輝の言葉に、桃は頬を染めてはにかむ。
「あは……なんだか恥ずかしいね……でも……嬉しい……神谷くん…こんな私だけど…よろしくね」
「僕の方こそ! 僕は……こんなに嬉しい事、生まれて初めてです!」
「あはは……大袈裟だよ」
「扇さん…」
「桃」
「えっ?」
「桃でいいよ。その…神谷くんは……私の…彼氏…なんでしょ? だったら……ね」
「じゃあ、僕も正輝で良いです。僕の……彼女なんですから。桃さん」
「うん……ありがと…正輝くん……」

 見つめ合う2人。
 その姿を見つめる影が扉の向こうに……

 翌日、2人が登校する頃には、クラスどころか学校中に2人の関係が完全に知れ渡っていたのだった…。


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